本学院の沿革・略史
本学の創立は延暦25年(806)1月26日、天台法華宗に止観業(天台専攻)と遮那業(真言専攻)との年分学生がおかれることになったのが起源である。この選ばれた学生は自己の専攻に基づいて籠山12年、山修山学をしたのであるが、のちには、修行業・声明業など専攻が増えると共に、学生数も増加して、比叡山三千学徒と称されるほどになった。この三千学徒の棟梁として学頭職がおかれ三塔に各学頭があって、その上に総学頭が設けられた。学徒にも学生と堂僧と堂衆の三つに分れ、覇を競った。当時、勧学講が開かれ天台の章疏を始めとして倶舎、成実、唯識等の仏教基礎学が講ぜられた。地方には談義所(研究所)が分置され、各府県に配置されるに至った。
明治6年、学制が制定されるや比叡山上に比叡山総が置かれ、のち、比叡山大学林、比叡山中学林が誕生した。比叡山大学林は明治31年西部大学と改称され、明治39年には教育の便を図って比叡山上から山麓の坂本に移転された。さらに大正14年には比叡山専修院と叡山学院とが併設され、旧校舎が建設された。その後いくたびも学制改革が行われたが、昭和26年学校法人延暦寺学園が設置せられるや比叡山専修院は廃止され、叡山学院に本科と研究科および専修科が設けられた。時代の進展と共に、学院の充実が叫ばれる中、昭和59年7月には寮増改築が竣工した。
さらに比叡山開創一千二百年慶讃の歳を翌年にひかえた昭和61年9月、慶讃記念事業の一環として、一宗あげての支援を得、同窓会・後援会の資金勧募、関係諸寺院からの協力等によって新校舎が竣工した。また平成2年10月には図書館が新築され、平成8年4月には寮の第一期工事が完了し、続いて平成13年4月には第二期工事も完了して寮は一新した。平成18年度からは、4年制の課程を設けて仏教総合学科とし、従来の2年制課程を仏教基礎学科、仏教研究学科、仏教専修学科と名称変更した。その結果、当年度の仏教総合学科修了者から、高度専門士の称号授与と大学院受験資格が認められることとなった。